私のメンタル不感症
怯えるわけじゃないもん
怖いわけじゃないもん
なにかをしたいわけじゃない。
なにかになりたいわけでもない
ただタンタンとこなすだけ
感情のブレはジャマなだけ
ジャマなものは切りはなす
わたしはもっと強くなるんだ
世界に求められているかぎり
どんなことだって我慢してみせる
そう、私のメンタル不感症。
動じちゃいけなかった
そうやって自分を閉じ込める女性がふえている。
完全な「メンタル不感症」
我慢することばかりで、感情に疎くなる
怖がることも、不安になることも蓋をして
感じることよりも、頑張ることが優先
なにがしたいかも最近はわからない
それより周りの要望を叶えなきゃ
社会的な立場がさらにそう選ばせる
そういう女性たちの代表的な特徴は
- 誰か(何か)と戦ってきた
- 誰か(何か)を守ってきた
みんなに共通しているのは「そうなるしか生き残る方法を知らなかった」というのが一番の理由。
社会的に目立つ立場になることで、周りの誰かや世界の何か(思い込みもふくむ)とも戦っていかないといけない状況にいたり。
自分の家族や、子供や、友人や、後輩など立場はいろいろとあっても、自分より弱いものを守らないといけないことが必須だったなど。
戦うこと、守ることに必死で、自分だけのしあわせを目指していいのかさえ分からなくなる立場に置かれた時間が長かったということ。
そして、みんな優しい子。
誰かの代わりに傷ついてきた。
罪悪感が生まれて
そして、いつかある日を迎える
カラダとココロが壊れていく
自分の思い通りにならない現実
甘え方さえも忘れた自分に愕然とする。
本当は誰かに助けて欲しいのに、、、
一人で頑張ってきたからこそ、誰かを守って風除けになってきたからこそ、誰かに守ってもらうことが苦手になっている。
そして、世界も自分をそう扱ってくる。
「君なら超えられる、君ならできる」
そうやってさらに甘えられなくなっていく。
ただの「助けて」って一言が言えない。
「分からない」「できない」が言えない。
自分や、自分の周りの面倒をみるだけでも精一杯なのに、他の人に貸しを作るなんてできない。
そんな貸し借りで人間関係を考えだす。
だから、甘えるなんてできない。
迷惑はかけられない。
自分で解決するんだ。
甘えるなんてしちゃいけない。
だって、そしたら嫌われる
そんな罪悪感がまとわりついてる。
向き合うって怖い
そうなってしまった理由はいろいろある。
親子関係で甘えれなかった過去があったり、伝え切れていない想いがあったり、傷ついたハートだったり、なにか怖かった思い出がある。
そこには本人にしかわからない思い込みがあって、その過去から生まれた勘違いさえたくさんある。
その思い込みを大事に守って生きてきた。
そんなココロの鎧を一個づつ脱いでいく。
大切なのは本人が「向き合う」と決めることだ。
変わりたいと思っていても、変わると決めていないと人なんてのは簡単には変われない。
結局は勇気をつかわないでいい方を選ぶ。
向き合うってのは怖いんだ。
さらに完全な変化には時間がかかる。
だから、僕のような方向を示すような先生が必要にされるんだけど、まずは自分で求めることなんだ。
僕ができることは扉の前に案内すること。
君のなりたい君らしい場所へ。
扉は自分で開くんだ。
ありのままの君を求めるんだ。
不感症なんてやめちまえ。
だから、とっとと不感症なんてやめちまえ。
怖がって、怖がって、着込まなくていい。
その着込んだ鎧を脱げばいい。
誰かのために我慢したもの、何かのために我慢したもの、怖いから着込んでしまったすべての鎧を脱いで、脱いで、脱ぎ散らかせ。
誰かは言うかもしれないね。
「あなたは変わった」
でも、それは最高の褒め言葉だ。
鎧を着込んで動けなかった、可哀想な女でいたかった君が、ありのままに踏み出せた勇気の証だ。
そしていつか、ありのままの自分を手にした時に、「本当の君になること」が、実は一番大切な人たちのためになることだったんだと気づくよ。
だからもう安心してすすめ。
不感症なんてやめちまえ。
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